fiend Side Story -空華-

気が付いたら、足元がびっしょり濡れていた。

そういえば、酷く耐え難い臭いがしていた気もする。

とにかくこれを、弟には見せちゃいけないと、そう思った。

それ以外の事は、よく覚えていない。

 

 



fiend   Side Story -空華-

 

 

「くーや!くうやったら!おーきーてー!朝だよ、もう……起きなさいってば!」
相も変わらず寝坊助な弟は、いくら揺さぶっても起きやしない。
こうなっては仕方がないので、無理やり布団を剥いでやる。
そうすると、双子の弟こと闇風空夜は必死に手を伸ばしてわたしから布団を取り戻そうとした。
「う~姉ちゃんふとん……ねむいから……。」
「何言ってるの!早くご飯食べて出ないと、学校遅刻するよ。」
「ええ……がっこ……あ!!」
今日が学校だってこと、すっかり忘れてたみたい。
遅刻するよ、という言葉を耳にするなり、空夜はぱっちりと目を開けて事の深刻さに気付いた。
「ごはん先に食べてるからね。」
そう言って布団を戻し、わたしはリビングへと向かった。
リビングのドアを開けると、焼き立てのパンのいい匂いが鼻をくすぐる。
席に着くとお母さんが目玉焼きの乗ったトーストを出してくれた。
「いつも空夜のこと、起こしてくれてありがとうね。さすが頼れるお姉さん。」
「へへ、どういたしまして!」
お母さんにこうして褒めてもらえるのが、とっても好きだ。
そう、双子といえど私の方がお姉ちゃんなのだから、空夜の面倒はちゃんと見なくちゃいけない。
いつも寝坊するし、ほっとくとボーっとしてて危ないし、目を離せない弟。
わたしがしっかりしていないと、家の中でも学校でも。
トーストをもぐもぐ食べていると、空夜が音を立ててやってきた。
「あら、空夜おはよう。ほら、早く朝ご飯食べなさい。」
「おはよう!も~、姉ちゃんもっと早く起こしてよ!」
「何言ってるの、寝坊してる空夜が悪いんでしょ。」
空夜はもっともな返答にうっと黙り込み、急いで椅子に座ると「いただきます!」、勢いよくトーストを食べ始めた。
そういえば今日は、この前やった算数の小テストが返ってくる。
100点だったらお父さんとお母さんに自慢しよう。
そう思いながら最後の一口を放り込む。
「ごちそうさまでした。」
手を合わせて食器を片付けたところで、ある事に気が付いた。
「あれ?そういえばお父さんは?」
いつもこの時間には、テーブルで新聞を読んでいる父の姿が見当たらない。
「お父さん、今日はおやすみ。まだ寝てるわよ。」
お母さんが少し呆れ気味にそう言った。
「へえ、そうなんだ。あっ、もうこんな時間!空夜行くよ。」
時計を見ると、遅刻ギリギリの時間になっていた。
ちょっと駆け足で行けば間に合うかな、と思いながらランドセルを背負う。
「ごちそうさまでした!!行ってきます!」
空夜も急いでトーストを食べきり、ランドセルをひっつかんだ。
お母さんは、いつも玄関まで見送りに来てくれる。
優しい笑顔で私たちを見て言った。

「行ってらっしゃい。」







小学校からの帰り道、なんとなく足取りが軽い。
今日返ってきた算数の小テスト、ちょっと難しいところだったけれどちゃんと勉強したおかげで満点が取れていた。
家に着いたら、まず初めにお母さんとお父さんに、この事を自慢しようと意気込む。
お母さんもお父さんも、わたしがテストでいい点をとると必ず褒めてくれる。
褒めてくれるのが嬉しいから、勉強はそんなに好きじゃないけど頑張ろうと思える。
すっかりご機嫌なわたしの後ろでは、心なしか暗い面持ちの空夜。
空夜はあんまり点数が良くなかったみたい。
ため息をついている空夜を横目に、ようやく辿り着いた我が家のドアを開けた。
いつもより少しばかり大きな声で「ただいまー!」と家に入る。
すると、お母さんが奥からやってきて「あら、おかえり」って……。
あれ?
いつもならそのはずなんだけど、お母さんが現れるどころか、返事は一向に返ってこない。
靴を脱いでリビングへ。
「おかあさーん?」
だれもいない。
「お母さんいないのかな?」
空夜が言う。
なんだか胸がざわついた。
よくわからないけど、静まり返った我が家に、心臓がどきどきする。
ランドセルを机の上において、テストのプリントを取り出した。
洗面所、いない。
お風呂場、いない。
トイレ、いない。
子ども部屋、いない。
いない。

そうしたら、あとはもうお父さんとお母さんの部屋しかない。
ドアを開けて、一歩。
すると、足がぐっしょりと濡れた。
「わっ!?」
急いで靴下を脱いだ。
くつしたは、あかいろ。

あかいろ?

いや、今日は真っ白な靴下を履いていたはずだ。
一歩。
「お父さん?お母さん?」
足は、さらに濡れた。
暗い室内に、二つの塊を見た。
手に持っていた、さんすうのテストが、ひらりと落ちた。
「ねえちゃーん、いたー?」
弟の声と、階段を上がってくる音が聞こえる。
まずい、そう思った。
これを、見せてはいけない。
顔から血の気が引いていくのを感じる。
目が熱くて、勝手に涙が出てくる。
急いで振り返って、ドアを閉めなきゃ。
そう思い駆けだすと、音を立てて転んでしまった。
顔中にべっとりと、赤黒い液体がつく。
いたい、こわい。
「ねえちゃん?」
こえが、すぐそこにいた。
顔を上げると、くうやが青ざめた顔で私を見ている。
急いで立ち上がって、空夜の顔を隠すみたいに抱きしめた。
「見ちゃダメ!!!だめ、だめだよ。みちゃだめ……だめ……。」
ぎゅっと抱きしめながら、ひたすらそう言った気がする。
涙が止まらなかった。
ただ、ただ怖くて、怖くて、でも、わたしは、お姉ちゃんだから。
しっかりしなくちゃ、いけなくて、くうやは、わたしがまもらなくちゃいけないから。


さんすうのテストは、すっかり赤に染まっていた。





あの日、家に強盗が入った。
強盗と鉢合わせたお父さんとお母さんは、そいつに殺された。
なにも、殺さなくたってよかったじゃないか。
どうして死ななくちゃいけなかったんだろう。
悪い事、何にもしてなかったのに。
どうしてなんだろう。
犯人はまだ捕まっていない。
何にも悪い事してないお父さんとお母さんが死んで、とびきり悪い事をしたやつが、のうのうと生きてる。
許せなかった。
警察の人に、いろんな事を訊かれた。
いろんな事を訊いたのに、どうしてまだ捕まってないんだろう。
警察って、悪い人を懲らしめるためにいるんじゃないの?
悪い人を捕まえて、懲らしめてくれる、正義のヒーローなんじゃないの。
お父さんとお母さんは、なんで死ななくちゃいけなかったの。
なんで、犯人は生きてるの。
そんなことしか考えられなかった。
「なんで、はんにんは生きてるんだろう。」
言葉が漏れた。
隣にいた空夜が、かすれた声で返事をくれた。
「悪いことした人は、ちゃんと罰を受けなきゃいけないと思う。」
もっともだ。
その通りだと思う。
「でも、僕たち子どもだし、何にもできないね。」
泣きそうな声だった。
悔しそうな声だった。
でも、だけど。
「大人だって、何にもできてないよ。」
酷く、酷く、腹が立っている。
こんなに怒ったのは、初めての事だ。
だっておかしい。
あんまりにも理不尽だ。
ついこの間まで、優しい声で、優しい笑顔で、私たちを見送ってくれたお母さんが。
いつも、笑って遊んでくれたお父さんが。
どうしてこんな目に遭わなくちゃいけないんだろう。
憎らしかった。
こんな事をした犯人が。
何もしてくれないけいさつのひとが。
誰も助けてくれない。
誰も何もしてくれない。
憎らしかった。
ぜんぶ、ぜんぶ憎らしかった。
こんな世界、無くなってしまえばいいって、そう思った。



突然、頭の中に何かが入ってきたような感覚に襲われる。
たくさんの情報が流れてきた。
「殲滅陣営への参加が可能です。」
しばらくして無機質な声が、頭の中で響いた。
あの時、ちらっと知らない文字が見えたような気がする。
そう、確か。